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名古屋伏見整体院ボディプラス名古屋中央店

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心の健康シリーズ(不定期更新)

はじめまして。ボディプラスの哲乗です。日頃は、教育業界と本整体業に携わりながら様々なカウンセリング・ヒーリングを行っています。また、色々な意味で修行者でもあります。大した者でもありませんが、知恵と知識と経験を得るため日夜、勉強に励んでいます。

このページでは、心の在り方について少しでもお役に立てるよう私なりにかみ砕いて書いていこうと考えています。多少、方便を使いながらですが、このご時世の混沌とした部分で心が疲れた方々のお役に立てれば幸いです。

無分別は快方への重要な鍵。

随分と、無茶なことを書いてる?と怒られるかもしれませんが、お付き合い頂ければ幸いです。私たちは何かに付けて分別しています。「あれはいいけど、あれはダメ。」「あの人は良い人、あの人は悪い人。」「単に好き、嫌い。」「あの人は出来るけど、あの人は出来ない。」
社会生活をすれば当然の事であり、当たり前の考え方です。勿論、分別するから物事の善悪を判断し善良な行いを選択出来るのです。これが人間であり人間たる由縁です。
しかし、時にはこれが心の障害となる事を心の片隅にでも置いておいて欲しい事です。
分別することは、自分の中の物差しで判断する事です。例えるなら、雨が突然降ったとします。多くの人は「雨はうっとうしい。濡れるから嫌だなぁ。」と思います。しかし、農業を営んでいる方々は「雨が降ったぞ。これで水まきしなくて良いからラッキー。」と思います。
このように、物事は見方次第で随分変わります。もし、雨が降ったら「これで野菜が安くなるかな?玄関の水まきしなくて楽だ。家庭菜園の水まきがサボれる。」とプラスに考えると、嫌な気持ちになりません。
また、嫌な上司はどこの職場にもいます。時に傷つく発言を平気で発言する方も多々おられます。その時、「嫌なやつだ。」と思うと、負の感情が芽生えます。そうなると、こちらが悪くないにも関わらず、間違いなく自分の心に負の感情が現れ、身体にも不調の兆しが芽生えます。
勿論、当たり前の感情ですが、ここで「何て私にはっぱをかけてくれる思いやりのある方だ。本当は期待しているのに恥ずかしがりやで素直に言えないんだ。」と思えれば勝ちです。心は平穏でいられます。
綺麗ごと並べて、何言っているんだ!と怒られるかもしれませんが、あえてヒンシュクを買うことを承知で書いています。分別するという事は、自分が神様になっている事と同様な行為です。
人は馬鹿でもないけど利口でもない。これが現実です。よって、分別するに値しない存在でもあるのです。分別は、善悪では当然必要な事ではありますが、それを可能な限り{無分別}を意識して{全て良し}になるよう可能な限り意識して実行すれば、心は素晴らしく安定していきます。もし、今現在、自律神経失調症やうつで苦しんでいる方、慢性の疲労等で大変な方には是非実行して頂きたいと心から願っています。難しいかもしれませんが、出来るところからで大丈夫です。
私は、ある意味、お坊さん修行の半端者で、単なる阿呆です。自分が阿呆だと思っているので、プライドもとても低いです。だから、そんな阿呆な私の話しで恐縮ですが、少しでもお役に立てば幸いです。

意識の分散、とても有効な手段です。

今晩は、哲乗です。実は、この内容は以前ホームページに記載していたのですが、誤って消してしまいました。
しかし、かなり日常生活に使える内容なので、少し要約して書き直します。
特に、今現在「気持ちが滅入ってる。」「眠れない。」「イライラしている。」方には大変有効です。騙されたと思っても活用して頂ければ幸いです。
私たちの意識は大きく分けて2つに分散されています。(少し方便ですが。)1つはご存知の通り「頭」、そうしてもう一つは「丹田」です。
丹田??これは武道やヨガ、エアロビを嗜んでおられる方はご存かと思います。簡単に言うと、お腹と肛門に一直線の線をイメージして、その真ん中に拳大の空間があると想定すれば、大体合っています。何それ?また変なこと言う!と思われるかもしれませんが、
私たちは、日頃の生活で案外、無意識に使っています。
野球でバットを振るとき、テニスでラケットを振るとき、どこに力を入れていますか?答えはお腹ですね。ラジオ体操で深呼吸するときもそうです。焦った時の深呼吸時もそうです。お坊さん瞑想時も、まずはこれから始まります。
しかし、日頃の生活で、その丹田を意識する事は皆無です。よって、意識は「頭」100で「丹田」0の状態です。
実は、これが・・はっきり言います。かなり心の弊害をもたらします。理想は「頭」0で「丹田」100何ですが、そうなると思考停止となるので当たり前かもしれませんが。その状態だと、雑念を持たないので理想と言えば理想です。もし、お寺で瞑想や座禅をする場合は、これが基本ですが。実際、日常生活では、何かと分別しているので「頭」100は仕方ないとしても、せめて「頭」30「丹田」70位にしたいものです。では、どうすれば出来るの?と疑問が出ると思います。
まずは、初級編です。「は行で笑う。」「ははは・・、ひひひ・・・、ふふふ・・・、へへへ・・・、ほほほ・・・。」何てアホなことを!!と思われるかもしれませんが、これは、即効性があるやり方です。「笑う門には福来る。」とは先人のお言葉ですが、正に本当の事です。
声をだして無理やり笑って下さい。せめて「頭」50「丹田」50にはなります。
健康・美容・不妊整体にしても、心の持ち方次第でかなりの違いが出ます。特に、不妊整体でこられる方は相当の負担を抱えられていると想像出来ます。是非、騙されたと思って気が付いた時に行って頂きたいと思います。
これとは別に、丹田呼吸法は多々あります。心療内科でも一部の先生は推奨されています。家庭の医学の本にも書かれています。
本当はもっと即効性のある方法を書きたいのですが・・また変な??思われても・・。
しかし、心は本当に身体と両輪だと思います。私の知り合いにもイジメを受けて、生理が1年弱無かった女性がいました。
妊娠に直結する事なので、意識の分散、取り組んで頂ければ幸いです。
特に、最近、心が・・・の方や、パニック障害で予期不安が出ている方は無理にでも行って頂きたいです。

予期不安で苦しんでいる方へ。

本当になった人しかこの感覚は理解できないものがあります。周りからは「大丈夫。気の持ちようだよ。死ぬことはないよ。」と軽く励まされますが、当の本人は本当に何とも言えない苦しみを感じます。
困ったことに、心療内科や民間カウンセリング(セラピー)を受けても、それが無かった時の自分(感覚)が戻ってこない自分に対してストレスを感じます。気の持ちようを変える?ポジティブになれ?本人は良く分かっていますが、それが出来れば治療はいりません。また、薬を処方されるので、それがまた罪悪感を増長します。何故なら、解決するのに何か良い方法はないものかと、色々調べると、「やっと薬から・・。」「もう薬なんて・・。」と薬=悪の記事が沢山出てきます。
また、この症状に対して、何とも無責任な記事が沢山出てきます。ここからは、ヒンシュク覚悟で書きます。実際なった経験があり、ありとあらゆるものに手を出した私だから本音で書きます。これは連載物なので、毎回、中途半端で終わりますが、可能な限り詰めて書こうと思います。
病院に行くと{1.絵を描く}{2.話をする}{3.薬をもらう}{4.次回の予約}のパターンで、基本は2.3.4を繰り返します。セラピーの場合は2.4です。これで、この苦しみから開放された方は一体どれ位おられるのでしょうか?少なくとも私の周りには残念ながらいません。しかし、あえてこれを否定も肯定もしません。これはこれで素晴らしいアプローチだと思います。
先に、薬について書きましたが、苦しい時はとても大切なアイテムです。特に、うつ病やパニック障害で発作を発症された時は素晴らしい効果を発揮します。だから、決して悪いものでは無いと思います。いざとなった時のお守り的な付き合い方でも良いのです。勿論、身体に良い物か悪い物かと言えば、自然なものではないので、決して良いとは言い切れませんが、付き合い方次第です。お酒も付き合い方次第では良薬にもなり、悪の元凶ともなります。お菓子でも、疲れた時や頭を使う時は素晴らしい食べ物ですが、食べ過ぎると深刻な病気の元になります。
結局は悪と決めつけては先に進みません。やはり、前項で書きましたが、ある意味無分別です。
薬やアルコール、お菓子も付き合い方さえ間違わなければ、何ら問題ないものです。
ただ、心が風邪?をひいてしまうと、確かに異常なまでに疲れやすくなります。そんな時は、無理せず、身体を休める事が必要です。
そんな役割が整体かな?と思って今、この仕事を始めています。(基本動かなくて良いから)
次回からは、ある程度、心に対する実践について触れて行きたいと思います。 

「瞑想」が外資系企業で大人気

プレジデントと言う雑誌をご存じでしょうか?経済誌では王様的に有名な雑誌です。この4月号に「世界が証明!つらい毎日が楽しくなる。心を整える{禅・瞑想}入門」たる記事が掲載されました。たまたま、病院で見つけて読んだのですが、世界的大企業、グーグル、インテル、フェイスブック、ナイキなどの大手企業が「マインドフルネス」と呼ばれる仏教伝来の瞑想法を社内活動のカリキュラムに取り入れているのに驚きました。アップルのスティーブ・ジョブズ氏は若い頃から禅を学んで、カリフォルニアの禅院で瞑想の修行を行っていた事を初めて知りました。

私が学んでいる教えの中に禅の修行があります。これまで記載してきた内容はまさにそれの要約版と申しましょうか、誰でも手軽に仏教など関係なく取り入れることが出来るように書きました。話の内容にそれを入れると怪しいと思われてしまうからです。よって、そのスタンスは崩さないようにしていきます。

ただ、この禅・瞑想は多少の知識と修行が必要なことも事実です。意識を丹田に全て持って行くことはちょっとしたコツが必要です。緊張時やショック時、不安に襲われた時は間違いなく意識は頭100で丹田0です。(前記を参照して下さい。)そうなると過呼吸や得体のしれない恐怖感が沸く場合があります。具体的には自分の気が変になる不安感です。出先でそうなった場合は、次の方法をお勧めします。これは、瞑想に入る前の準備と言うか呼吸法です。

1.足を肩幅に広げる。2.両腕をぶらんと下げて、その位置で握り拳状態にして強く握る。3.両足のつま先に力を入れて丸める。4.鼻から息を、首→背中→腰→丹田にそって空気が流れていくイメージでゆっくり吸い込む。5.吸い込んだら5秒程度息を止める。6.吸い込んだ空気を口から出来るだけゆっくりと吐く。とにかく、両足を地面にめり込ませる感じで行って下さい。

ここがポイント! 息を吸い込む時、必ずお尻の肛門に力を入れて下さい。また、息を吐く時も同様です。また、吐くとき・・ここ最大のポイントですが、「あ~。」とドスの利いた声で発しながら吐いて下さい。この「あ~。」ですが、身体の中に響くように必ず発声して下さい。これはかなりのポイントです。何故に?これは次回に記載します。

これがとあるところの丹田呼吸法です。まさに、意識を頭0、丹田100にする方法です。直ぐに慣れるので、覚えて欲しいと思います。この呼吸法は、不安などの症状が無い場合でも、日頃から意識してこの呼吸法を実践されると、かなり良い心の状態をキープ出来ます。

特に、不妊症などで疲れている方には絶対覚えて欲しい呼吸法です。

当院で各種整体を受けられた方でも、そうで無い方でも是非覚えて欲しい呼吸法です。この時代、心を安定させることは大変難しい事ですが、少しでもお役に立てば幸いです。

「あ」は始まりであり根源

上記で瞑想について記述しましたが、今回は少し踏み込んで書きます。この内容に多少嫌悪感を抱かれる方もおられるかも知れませんが、それを覚悟で書きます。丹田呼吸法で息を吐く時、「あ~」と発声して息を吐くと書きましたが、何故にそうするのか?これにはしっかりとした訳があります。「あ」は母音で一番最初にくる言葉です。私たちの言葉で{あ}から{ん}までの50音は必ず最後に母音となります。例えば{か}を発声して、みて下さい。{か~あ}になります。歌手を目指した方や発声練習を経験した方は間違いなく「あ・い・う・え・お」の発声方法を基本として練習します。少し話が脱線気味ですが、「あ」は我々の起源とも言われています。

少し怪しくなってきました。例えば、キリスト教は「アーメン」、仏教では「なぁ~むあみだぶつ」、「なぁ~んみょうほうれんげきょう」「はぁ~んにぁ~はぁ~らぁ」、イスラム教では「あっら~」と「あ」がキーワードとなっています。

赤ちゃんがこの世に誕生して最初に発する言葉も「あ~・・あ~」、自然と発する言葉も最初は「あ~」です。不眠症の方に即効性がある方法の一つに{お経を寝室で小音で流す}がありますが、これはお経の言葉はこの「あ」が含まれている言葉が多用されているからです。これはその他に波動が良いからでもあります。ある意味、子守歌に近いものがあります。

これを応用したのが、瞑想に入る前の丹田呼吸において息を吐く時の「あ」です。「あ」の波動を活用したとてもシンプルな方法ですが、理にかなっている最適な方法です。騙されたと思って、是非、活用して頂きたい方法です。

余談ではありますが、この「あ」ですが、名前(芸名)でも意識して付ける場合があります。これは「あ」の音には安心感や親近感を自然と覚えるからです。例えば、{明石家さんま}この7文字に何個「あ」の母音が含まれていますか。答えは5個です。{福山雅治}この8文字には「あ」は4個ですね。意識して付けてないとしても、何故か親近感を抱いてしまう名前になっています。

我々の施術でも、これをもう少し応用した方法で取り入れています。何故なら、心を安定させずに幾ら身体の歪みを治しても、はっきり申し上げると{直に元の悪い状態に戻ってしまいます。}

それほど、心と身体は密接な関係があります。ちょっとツボを押したから・・、ツボを名人芸で押したから、それで改善するなら直にでも出来ますが、対処療法の域です。

勿論、我々の力だけでは駄目です。是非、ご自身でも意識して心の安定を図って頂きたいです。

その手助けはプロである我々がするにしても、ご自身の日頃の意識が好転の道です。

疑問点・方法などは何時でもお応えするので、まずはチャレンジしてみて下さい。必ず良い結果を得られるとお伝えしたい次第です。

目に見えるものと目に見えないもの

タイトル通り何ですが、このどちらか一方が不調になることを病気と呼びます。この「病」とは主に怪我など切った貼ったなど西洋医学の最も得意とした分野です。ではもう一方の「気」ですが、これは心から発する病です。病気の割合ですが、圧倒的に「気」が多いことは皆様もご存知かと思います。例えば、風邪は一般的な病気ですが、この漢字を解読すると「風」「邪」ですね。邪で思いつく言葉は「邪気」「邪道」などが思い浮かびます。読んで字のごとしで悪い気が身体に影響して発症するものであり、身体が弱っている時にそのウイルスに負けて発症します。現代医学においてはまだ風邪を治す薬はありません。風邪に効く薬は多くあります。もし、治す薬を開発するとノーベル賞を授与されます。心の病もそうですが、脳の伝達物質を遮断する薬であり、治癒する薬はこの世にありません。この心の部分ですが、目に見えないものです。私たちは現代科学において唯物論を主体としています。これは、目に見えるものこそ正であり、目に見えないものは否定される理論です。言い換えれば、心は脳が作るメカニカルなものであり、そこに精神世界は存在しないということです。

心は頭(脳)で作られているのでしょうか?悲しい時、どこが痛みますか。頭ですか。胸の当たりが痛みますね。頭で考えて「悲しい」から次に泣く番だ・・とはしていないはずです。ただ、残念な事に心の在り方については学校教育では教えられていません。何故生きて行くのかその重要な意味を蔑ろにして、取りあえず生きている内は幸せならそんなもの関係ないと無視しがちです。教育の三大要素「知育」「体育」「徳育」の「徳育」を戦後GHQが廃止した事が今の混沌とした不安先行の社会を作ってしまいました。「徳育」を否定することは、例えばキリストやお釈迦さま、空海、最澄、親鸞、日蓮などの偉人を{世紀の詐欺師}と言う事と同様です。クリスマスは詐欺師のお祭り、奈良の大仏は詐欺の仏像、全国のお寺は詐欺の発信地、正月の初詣は詐欺軍団への献金となります。

何故、この世に生まれてきたのか?必ず皆様には何かしら使命があってこの世に生まれています。無意味に生まれた人は一人もいません。この考え方は今後の人生でとても必要であり、心の健康に重要な要素でもあります。

こう言う内容は嫌悪感を抱かれる元になり得る事ですが、数千年も脈々と続いているれっきとした真実であり、否定できる証拠は誰も持っていません。勿論、その逆もしかりですが。

私たちは目にも見えるもの(身体)と見えないもの(心)が1セットで生きています。これに誰でも何時かは気づく時が必ず来ます。それは早いに越したことはないのですが、確かに今気づけと言っても難しい事も事実です。ただ、「何となくそんなもんだ。」でも良いと思います。当院もそのスタンスで、それらを感じさせない、いや少し違うスタンスでテクニックを使っています。それでも良いのです。皆様に健康になって頂ければ・・・・。

心は車のハンドル

私たちは思いの力と考える力で人生を変えることが出来ます。これは、教育現場にいる私は特に感じるところです。心構えや心の在り方次第で未来を喜びに変える事が分かった瞬間から人生は好転します。その逆で「そんなまやかしは無いよ。」と否定した瞬間から喜びを得ることは困難になります。

心は車で言うところのハンドルに似ています。車の運転はご承知のように、アクセル・ブレーキ・ハンドルで成り立ちます。もし、ハンドルが無ければそれは恐怖の乗り物となります。しかし、今の世の中、このハンドルが無いと思っている方は多々おられます。このハンドル(心)は私たちの思い次第で如何様にもなります。極端な話、運転中、ハンドルをわざとガードレールに向けて切ると自分の命を絶つ事は簡単に出来ます。

私たちはこの車に乗っています。それを操っているのが、世間で言う「魂」と言われている部分です。そして車が「肉体」です。これ故にWHO(世界保健機関)がスピリチュアル(spiritual )を提唱した由縁でもあります。これは「魂」の中に「心」と言う部分があると言う事です。

しかし、残念な事にこれらは日本では懐疑的であり多くは否定されています。また、これらを言うことはタブー視されています。どちらかと言えば、車は勝手に動いていると言う考え方が主流となっています。勿論、その考え方を否定はしませんが、自分が幸福になるか、不幸になるかの選択権は自分にとって良い方を選んだ方が良いと思います。

今回は少し難しい内容であったかも知れませんが、心の在り方は私たちの考え方次第と言う事を記しました。「魂」などと言う言葉を記すと、何とも怪しいと思われがちですが、誰でも心の片隅にそれを否定出来ない部分があるからこそ、身内が亡くなった時などに悲しみを覚えます。でないと、肉体が滅びると「はい、それまで。」と簡単に割り切れるはずです。

80%で良いのです。

「100%力を出し切ろう。」と学校教育で散々学びましたが、はたしてそれは正解でしょうか。確かに、それが必要な時もあります。学校入試やテスト、入社試験と確かに必要な時もあります。しかし、それを全ての生活で当てはめると必ず心に歪を生じます。と言って、それを全面的に否定するつもりは毛頭ございません。ただ、やはり完璧なまでにそれを遂行する事は不可能です。それに捕らわれると、生きる事が相当辛い試練となります。完璧な人生や完全な人格、欠点のない人生、傷つく事が無い人生を追い求める事は辛いのも事実。そうでなく、100%でなくてもより良い人生を選ぶ事が大切です。私たちは全て大切な存在です。何かしら使命を受けて存在しています。中には生きる価値や自信を見い出せない人もおられますが、これまでの人生の中で必ずや一度は褒められた経験はあるはずです。それを思い出して肯定する自分を見出して欲しいです。

少し重たい内容となりましたが、私の教え子で以前、20代でこの世を去ってしまった子がいました。とても残念で仕方がありませんでした。現在の20~30代の死因は癌を抜いてこのパターンが一位を占めます。これは先進7ヶ国ではトップです。

生きる意味を学んでいない「徳育」の欠如が大いに関係していると思います。人生を生き抜く過程においてその都度、様々な難問が待ち構えています。何一つ思うようにいかないのが人生であり、それを一つ一つ解決して行かなければなりません。ある意味、修行ですが、修行は当然「苦」であり「楽」な修行はありません。生きていく上で四苦八苦(四苦とは生老病死)は避けられませんが、何かしらの使命がある人生を良き仲間と過ごして行く事こそ意味があります。だから80%で良いのです。

スピリチュアルの世界観は案外身近

先日、知り合いの祖母が亡くなられました。84歳で他界されたので世間で言う大往生かもしれません。勿論、当事者にとっては悲しい出来事だった事は容易に想像出来ますが、この苦行と言える人生から卒業された事から考えると「これまでお疲れさまでした。また、脈々と続く我が家の歴史を継続してくれて本当に有難うございました。」と感謝でお送りする事が本当かもしれません。

考えて見れば、祖母やご先祖様が頑張って人生を生き抜いてくれたらこそ現在の私たちが存在します。その有り難きご先祖様がこの世で生きている私たちの守護霊になるとは、色々な文献で記載されています。その真意は定かではありませんが、私たち日本人は{お盆}{正月}{墓参り}でそれらに感謝を行っている事も確かであり、全面的に否定できないのも事実です。

それをもし肯定的に捉えれば、案外幸せの始まりかもしれません。年の定例行事として捕らわれるのではなく、日頃から感謝の心を持っていれば正に読んで字のごとしで{守る}{護衛する}{ご先祖様}と何とも有り難い存在なので何かしら良い方向に導いてくれるかもしれません。

ただ、反面もあります。これは多くの人と接している職業柄気づく事なんですが、「類は友を呼ぶ。」の原理です。嫉妬や怒りなどの負の感情はどうもスピリチュアル面ではかなりの問題が生じているようです。細かい事は記載しませんが、これはどうも事実のようです。簡単に言えば{人が変わる}と言った感じです。当の本人は気付きませんが、もしご自身が「もしかして・・」と思われたら、{本来の素晴らしい自分に戻ろう。}と反省すればとても効果的にそのようになって行きます。すると、何故か心がさっぱりして温かい気持ちになっていきます。

もしそうなら騙されたと思って一度、行ってみて下さい。もし、本当に守護霊たるものがいるとしたら、間違いなく良い方向に導いてくれます。

心の話を書くと、この手の内容はどうしても避けられないのであえてヒンシュク覚悟で書いていますが、一概に否定出来ないのも事実かもしれません。

私欲・公欲

私たちの行動の原動力に{欲}の存在があります。「何かになりたい。」「こんな自分になりたい。」「こんな理想の人生を謳歌したい。」等、その{欲}を満たすために、努力出来るの事は事実であり、否定できるものではありません。勿論、大切な考え方であり、ある意味生きる意欲となります。

しかし、時としてこれが災いになる場合もあります。何故なら、その{欲}が満たされない場合、時として不平不満の元になるからです。そうなると、満たされない(達成されない)自分に腹立つばかりか時として、他に責任を転嫁して攻撃してしまう事があります。「誰々が・・だから出来ないんだ。」「環境が悪いから・・達成できないんだ。」これは、私も同じ感情になった事は多々あります。確かに、その方が楽であり、責任転換すれば気が楽な事も事実です。教育現場でもこの光景はよく見受けられます。お母さま方が子供の成績が上がらないのを私の責任に転嫁される場合がありますが、正にそれです。私の場合は、仕事として割り切っていますが、それでも本音を言えば不快を感じます。これは{不悪口}{不両舌}と言う人としてやってはならない行為で、簡単に言えば粗暴な言葉や中傷(悪口)を指します。

私欲がもたらす行為の一種であることは確かであり、言う方と言われる方どちらも不快を感じます。それで、心が不健康になるのであれば、できる限り避けるべきです。

もう一方の公欲ですが、これは美しい{欲}です。「誰かのために何とかしてあげたい。」「いつかは人のためになれる人間になりたい。」と利他の精神から出る{欲}です。明治維新で活躍した若き獅子は「日本を良い方向に持っていきたい。その為には自らの命を引き替えにしてもよい。」と若干20代の若者がまさに公欲に動いた革命でした。この例は多少オーバーかもしれませんが、現代でも公欲に動いた人が何かと仕事や人生で成功を収めています。

あえてこの内容を書いたのには理由があります。

私たちの仕事は整体業です。私が他に行っている教育産業同様、ものが介在しない職種です。これは職種にもよりますが、対人の職種においては、この公欲の心を忘れてはならないと自分に言い聞かせています。特に不妊整体においては本当に苦しんでおられるはずです。この心を持たず、機械的に骨盤・骨格調整・ツボを刺激する行為だけでは何か足りないと思います。如何にして、良い方向に持っていけるか、その為には心と身体の両方からアプローチしないと不足していると正直に思います。勿論、日頃の生活スタイルも重要です。

また、既に心に何かしら問題を抱えている方に対して、「身体の歪みから自律神経が乱れて心が不調になった。」「歪みを治せば自ずと心の状態が改善する。」等と少し的が外れた内容を要所で見受けます。間違いとは言いませんが、ではその前に「何故、身体が歪んだのか?」が欠けていると思います。勝手に身体は歪みません。ニワトリが先か卵が先かの論議ですが、実際、私自身が心の問題を抱えた経験があるからこそ疑問を感じます。治す側が、もしそれを経験をしているならば、それは言い切れないと思います。

私たちのお店がもし、私欲の塊になった場合は、自然と淘汰されていきます。それは自業自得です。そうならないように、公欲(利他の精神)で運営するように手綱を絞めていかなければ・・・。

顕在意識・潜在意識に鍵がある!Part1

今回はかなり重要な内容となります。顕在意識とは簡単に言えば、日頃から意識している表面意識です。私たちは日頃、この意識を持って行動しています。では、潜在意識ですが、これは無意識で日頃は気にもしていない意識です。色々な文献にも書かれていますが、この両方の意識を合わせて100%とした場合、顕在意識は10%程度で90%は潜在意識で占めています。よく、氷山に例えられていますが、海の上にちょこっと表れているのが顕在意識で、実は海の深くに沈んでいる大部分が潜在意識とイメージして頂ければ良いと思います。私たちの行動・思考・人格はこの潜在意識に大いに左右されています。

ここからが本論に入ります。生まれてから現在に至る経験で感じたこと(良し悪し)は無意識の内にこの潜在意識に記憶されていきます。と言うことは、多くの嫌な出来事がまるでハードディスクに保存されているが如くトラウマとして保存されていきます。そうなれば当然ですが、生きている期間が長ければそれだけ多くのトラウマがまるで動き出した砂時計の如く増加していきます。信じられないかもしれませんが、胎児として母親のお腹にいる時から始まり、もし母親が負の感情、例えば「男の子のようだけど、出来れば女の子が良かった。」「計画外の子だから困った。」等、その胎児に対して思う負の感情は胎児の潜在意識に保存されます。(俗に言う母子一体の原理です。)結果、生まれてきた子供はある時期に何かのきっかけで突然、心の不調を起こすことがあります。具体的に言えば、潔癖症や鬱、対人恐怖症などです。案外、これで問題を抱えている人は多いです。

このトラウマですが、潜在意識に蓄積されていますが、ではどこに蓄積されているの?と疑問が出てきますが、ズバリ丹田です。意識は頭と丹田に分かれているとは前項で記載していますが、この丹田に保存されています。そう記してもピンとこないと思いますので、簡単に言えば頭は{母屋}で丹田は{納屋}と想像して頂ければわかりやすいかもしれません。{母屋}ならどこに何があるか意識していますが、{納屋}だと何処に何があるか?とは誰も意識していないと思います。

今回のテーマは一体何が言いたいの?と思われるかもしれませんが、{肩がはる・頭痛が・腰が・心が不調・原因不明の・}は表面に現れた症状はあくまで<<結果>>です。氷山の10%に表に現れている現象です。と言うことは、この現象を起こしている大元は潜在意識から発信されています。潜在意識にある多くのトラウマから身体に発信している悲鳴です。これを無視することも勿論出来ますが、それは我慢であり、各自のキャパシティーを超えると、心か身体のどちらかが悲鳴をあげ結果として不調になります。これこそが、原因でありここにアプローチしなければ根本的解決に至りません。

例えば、国民病となっている糖尿病を例に挙げると、なってしまうとインシュリン注射で血糖値を下げる対処療法は一般的ですが、では何故、糖分過多になってしまったのか?何故、糖分を過剰摂取したのか?過剰摂取するに至った経緯は?と深い部分に原因を探って行くと、必ず、その大元の原因が必ずあります。これが潜在意識にあるトラウマです。まずは、これを解決しなければいけません。

先に記しましたが、トラウマは数えきれない程のものがあります。全て解決するには根気がいる作業ですが、これを解決することが、今後の人生の好機になり、幸せの元になります。

次回は、もう少し掘り下げて記載します。

顕在意識・潜在意識に鍵がある!Part2

前回は顕在意識と潜在意識についての概要を記しましたが、今回は特に潜在意識について少し深く書いていきます。潜在意識に蓄積されたトラウマはこの世に生を受けてから溜まる一方なのである意味、トラウマのデパートと言っても良いでしょう。人は本来清浄です。よって心はピカピカのはずですが、困った事にその心の回りにトラウマがまるでヘドロのようにはへばり付いてしまいます。これが、多くの不調をもたらします。それは心や身体の不調として人によって様々な形で現れます。身近な例を挙げれば、幼少期に「高い高いばぁ~。」を親からされると人によっては恐怖に感じる場合があります。それが原因で高所恐怖症になる場合があります。因みに、私は高所恐怖症なのですが、以前、幼少期の写真を見てなるほど!と理解した経験があります。そこには、肩車されて大泣きをして怖がっている私と笑っている父親の姿が写っていました。広島には音戸と言うツツジの名所があるのですが、眼下100m弱には海が迫っています。この景色が余程恐ろしかったのか、数十年経った今でもおぼろげながら泣いた事を覚えています。

これら潜在意識は本当に厄介で、また一つまた一つと何かしら許容範囲を超えると現れてきます。先に述べました、高所恐怖症もそうですが、鬱や自律神経の乱れ(肩こり・腰痛など)もそうです。これを如何に取り除くかが本来の健康を得る最も重要なキーワードです。

私たちの狙いはそこにあります。表面に出ている症状を対処療法的に緩和させる事は可能ですが、潜在意識から来るシグナルを探して取り除く事こそが重要です。勿論、簡単な事ではありませんが、潜在意識から来るシグナルはある種、特定の部位に現れます。それが、正確か?とは言い切れませんが、ヒントになります。

これまでに貯めたトラウマは仕方ないですが、今後、如何にトラウマを貯めないかが重要です。勿論、仕方ない場合もありますが、前項でも記していますが、心を乱さないように日頃から心掛けていく事を強く願います。

「無分別」「意識の分散」など、随分生意気な事を書いており、大変恐縮ですが、是非日頃から意識して頂ければ幸いです。

特に、不妊整体の方々には心からお願いしたい事です。大変な不安との闘いで私の想像を超えるご苦労をされておられると容易に想像出来ます。心から切に笑顔を頂きたいと願っております。不安やご不満を当方に投げかけて頂いても構いません。幸せのお手伝いが出来れば・・。

氣ってなんだろう?

 

氣(気、エネルギー)というものを聞いたことがない方はいないと思います。フィクションの世界では当たり前のように多用されている言葉ですよね。

ただ、「それって結局何なの?」と聞かれると答えに詰まる方が大多数ではないでしょうか?つまり、実感として氣を感じている方は武道の心得がある方を除いて非常に少ないといえます。

『そんなの本当にあるの?ドラゴンや妖精みたいな架空のものじゃないの?』という声が聞こえてきそうではありますが、そもそも、氣とは、中国の概念です。

しかし、各国でも同様の概念があり、例えば英語では「アウラ」、ラテン語では「スピリトゥス」ヘブライ語では「ルーアハ」、サンクリットでは「プラーナ」、民族の各種儀式がそれにあたります。そしてこれらの国ではある種常識レベルで存在が信じられています。

この意味では日本のような疑いの念を持つ国は少数派といえるでしょう。

しかし、考えてもみてください。「気が重い」「病気」「気分がいい」「気落ちする」など、氣(気)を使った言葉は数えきれないほどあります。誰がこれらを否定することができるでしょうか?

氣とは、端的に言えば生命力です。言葉にするとどうしても陳腐な響きにはなってしまうので、あまり長々とは書きませんが、これが実は呼吸と深い関連があります。

 

この続きは施術の際に詳しくお伝えしたいと思います

 

 

その不調の原因は?(心の調和の導入理由

これまで、心の部分について記載していきましたが、今回は少し、様々な不調について具体的に記載していこうと思います。

皆さんは何か行動するとき、無意識or意識的に動かれています。例えば、「お腹がすいたから食べに行こう。」「○○まで遊びに行こう。」「さて、今日も元気に働こう。」等など、まずは気持ち(心)が先に働いてから身体を動かしています。心→身体の順番で動いていることは確かです。もし、このどちらかが不調になればそれが何時しか症状として現れます。身近な症状では、肩こり・腰痛がそうです。そして、これはあくまで最終結果として表に出ている症状にすぎません。必ずそうなった原因はあります。

ここからが本題です。問題の部位を幾ら外側からアプローチしても個人差はありますが、元の悪い状態に戻ってしまう事が多々あります。これは一度整体、もみほぐし、カイロプラクティックなどを経験している方であれば思い当たる節があるかと思います。それは、ちょとした心の乱れや、そもそも蓄積しているトラウマ等が原因の一つです。身体は私たちが想像している以上に案外、頑丈に出来ています。少々の無理をしても自然治癒力を備えており健康であればその状態を維持出来るようになっています。それは、生きている間は例えるなら、自然のエネルギーを得ているからです。誰にでも必ず太陽の光を与えられる事と同じ事です。しかし、心に問題を抱えると、このエネルギーを得られない状態になっていきます。少し、いやかなり怪しい話になり恐縮ではありますが、ヨガや瞑想はこのような考えを主に構築されています。近年、パワースポット巡りとして多くの神社がクローズアップされていますが、それは、神仏の光を得に行くことで心を癒される行為です。

もし、この世の中にたった一人で生きて何不自由無い生活をしているならトラウマなど溜まるはずはありません。しかし、私たちは誰でも他人と共存しています。その中で、良い事もあれば嫌な事もあります。どちらかといえば嫌な事の方が多いと思います。そして、それが記憶として潜在意識に蓄積されていきます。それを取り除くことこそが本当の健康への第一歩です。

それは、知識だけでは難しい事も事実であり、ある意味不適切な行為だと私は考えています。何故なら、施術側の心の在り方に左右されるからです。

そのため、当院は開院から約1年かけて、ようやく導入するに至りました。かなり深い内容のため、我々の絶え間ない探究心と八正道が必要であり、まだまだかもしれませんが、頑張っていこうと思います。

岩のような人、砂のような人、水のような人

人は怒りの感情について、3通りの人がいるといわれています。それが、「岩のような人」「砂のような人」「水のような人」の3通りです。

岩のような人とは、岩に文字を書くとずっと残るように、あいつのせいでこんなことになったと怒りに燃え、恨み、いつまでも怒りの感情が根深い人をさします。

砂のような人とは、砂に文字を書くと岩ほどは残らず、砂浜であれば人波あれば跡形もなく消えてしまうように、一時は怒りの感情にさいなまれ、苦しみますが、しばらくすると穏やかな心になる人です。

水のような人とは、水に文字が書けないように、どんな人から何を言われようと、どんな想定外の状況になろうと怒りの心を起こすことなく平然とした心持でいられる人のことです。

 

ストレス社会といわれる昨今、私たちは日々様々な刺激(ストレス)を受けていますが、その受け取り方によってはさらなるストレスを重ねることにもなりかねません。

岩のような人は砂のような人になれるよう、砂のような人は水のような人ななれるよう、日々心の在り方を変えていく事がストレスから解放のヒントです。

唯我独尊の本当の意味

「唯我独尊」とは、漢字だけで見てみると唯、我、独り、尊いというように、俺一人が偉いのだという解釈をする人がほとんどですが、

実はこの言葉はお釈迦様の言葉なのです。

四大聖人、三大聖人ともいわれるお釈迦様がはたして「俺一人が偉いのだ」と偉ぶったことをおっしゃるでしょうか。

「実るほど 頭の垂れる 稲穂かな」といわれます。これは、まだ実っていないときはイネはピンと立っていますが、実りの秋になると稲穂は頭を垂れるようになるさまをうたっています。

人間でも同様に、未熟な時は自分ほどできる者はいないと自惚れますが、いろんなことを経験していくにつれ、腰が低くなっていきます。

話は戻りますが、お釈迦様が「俺一人が偉いのだ」とおっしゃったのではないというならば本当はどういう意味なのでしょう。

唯我独尊の『我』とは、実はお釈迦様個人をさす言葉ではなく、我々すべての人間のことをさしているのです。

つまり、唯我独尊の本当の意味合いとは、【ただ我々人間のみが果たしうる尊い使命、崇高なたった一つの目的を持っている】ということになります。

ちなみに、豆知識ではありますが、聖書にも同様の表現があり、イエス様が「私」という一人称を使う際は、ナザレのイエス様個人をさしているのではなく、私たちという意味合いも内包しています。

経典は本人が記したものではなく、伝聞を集めたものであることが多いため、このような間違った解釈で広まることも少なくありません。

なぜそんなまどるっこしいことを?と思う方もいらっしゃるかと思いますが、それにもちゃんと理由があります。一度ご自身で調べてみるのもよいでしょう。

四苦八苦

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『四苦八苦』という言葉自体は聞いた、もしくは使用知ったことのある方が多いのではないでしょうか?

主に「苦労をした」「大変だった」という意味合いで使われることが多いのではないでしょうか?

この言葉は実はお釈迦様の教えの一つであり、人生においての『八つの苦しみ』を表現しているのです。

この意味を本当に理解するにあたって、絶対に外せないキーワードがあります。

一切皆苦(いっさいかいく) 人生は思い通りにはいかない

ということです。

八つの苦しみとは、単純な「息ができなくて苦しい」というような感覚的な苦しみではなく、「思う通りにいかない苦しみ」をさしています。

四苦 【生】【老】【病】【死】

八苦 【五蘊盛苦】【怨憎会苦】【愛別離苦】【求不得苦】

この併せて八つの苦しみは生きていくうえで避けられようがない苦しみです。上段の四つに関しては字面から何となく察することができると思いますが、下段の四つは難しい漢字が並んでいるため、少し説明が必要かと思いますので、一つづつ解説していきます。

五蘊盛苦(ごうんじょうく) 心身、特に心がうまくコントロールできない苦しみ

怨憎会苦(おんぞうえく) 怨みや憎しみを抱いてしまうような人と出会う苦しみ

愛別離苦(あいべつりく) 親しい友人や家族、愛する人と別れてしまう苦しみ

求不得苦(ぐふとっく) お金や地位や名誉など、求めるものが手に入らない苦しみ

 

いかがでしょう?誰もが実感することばかりではないでしょうか?

次回はこれらの苦しみを受け入れ、理解するための方法、教えについて書いていきます。

諸行無常

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このタイトル 『諸行無常』 という言葉はご存知の方は多いのではないでしょうか。

かの有名な平家物語の冒頭「祇園精舎」に登場する言葉ですね。

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

 

諸行無常とは、すべてのものは移り変わるものという意味で、あらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理を指しています。

あらゆるものが常に変化し続けているにもかかわらず、私たちは地位や名声、お金、さらには人間関係や自分の身体に関しても「変わらないでいてほしい」と願います。

そこには『執着』が生まれ、果ては苦しみとなります。

 

このような苦しみにとらわれないためには『諸行無常』を心にとどめておくことが必要です。

このタイトル 『諸行無常』 という言葉はご存知の方は多いのではないでしょうか。

かの有名な平家物語の冒頭「祇園精舎」に登場する言葉ですね。

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

 

諸行無常とは、すべてのものは移り変わるものという意味で、あらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理を指しています。

あらゆるものが常に変化し続けているにもかかわらず、私たちは地位や名声、お金、さらには人間関係や自分の身体に関しても「変わらないでいてほしい」と願います。

そこには『執着』が生まれ、果ては苦しみとなります。

 

このような苦しみにとらわれないためには『諸行無常』を心にとどめておくことが必要です。

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